2008年03月26日
綬と略綬
こんなこと習っていなかったよ。
教えてもらえなかったこと知ると少し得した気分になりますね。
勲章を衣服に取付ける為のリボン状の部分を「綬」(じゅ)と呼ぶ。日本の勲章で「○○大綬章」、「○○小綬章」と言うのはこの部分の大きさが違う(他にも違う部分はあるが)ものである。多くの国では、この部分の模様(縦縞)が勲章の種類・等級によって異っており、ここを見ると勲章の種類・等級の判別が可能である。
最正装する場合、受章した勲章の正章を着用するのが正式とされているが、それ以外の場合は勲章の正章ではなく副章または「略綬」と呼ばれる綬をパターン化したもの(「リボン」)を着用することがある。略綬には、通常の民間服(モーニングコートなどを含む)に着用する円形のものと、武官が制服に着用するための長方形のものの2種類がある。長方形の物は単体では着用出来ない場合が多く「マウント」という金具に通して着ける。なお、勲章の略綬に類似したものとして、自衛官が着用する防衛記念章や消防団員等の表彰歴章がある。共産圏では西側や日本の制度や物に比べると綬なども単一化されておりパレードなど式典時は軍人・民間人問わず勲章をつける事が多い。
日本において、西欧に倣った勲章制度が定められたのは、明治時代である。明治4年9月2日(1871年10月15日)、新政府は賞牌(勲章)制度の審議を、立法機関である左院に諮問した。1873年(明治6年)3月には、細川潤次郎、大給恒ら5名を「メダイユ取調御用」掛に任じ、勲章に関する資料収集と調査研究に当たらせた。1875年(明治8年)4月10日、賞牌従軍牌制定ノ件(明治8年太政官布告第54号)を公布し、勲等と賞牌の制度が定められた。布告では、勲一等から勲八等までの勲等を叙した者に、それぞれ一等賞牌から八等賞牌までの賞牌を下賜するとした。このとき定められた賞牌の制式は、現在の旭日章の基となっている。
同年末には、有栖川宮幟仁親王以下10名の皇族が、初めて叙勲された。皇族以外の者に対して初めて叙勲が行われたのは翌1876年(明治9年)で、台湾出兵の功により西郷従道が勲一等に叙された。また同年には、清国との交渉に功のあったアメリカ人のル・ジャンドル(リセンドル)将軍とフランス人のボアソナードが、最初の外国人叙勲として勲二等に叙された。
1876年(明治9年)10月12日、正院に賞勲事務局(同年12月に賞勲局と改称)を設置し、参議の伊藤博文を初代長官に、大給恒を副長官に任命した。同年11月15日の太政官布告により、賞牌は勲章(従軍牌は従軍記章)と改称された(明治9年太政官布告第141号)。また、同年12月27日の詔書により、勲一等の上位に大勲位が置かれた。大勲位には、対応する勲章として菊花大綬章と菊花章が制定された。1888年(明治21年)1月3日には、制度運用の円滑化を図り、諸外国の例に倣い、宝冠章と瑞宝章が新設され、旭日章には旭日大綬章の上位に旭日桐花大綬章が、菊花章には菊花大綬章の上位に菊花章頸飾が置かれた(明治21年勅令第1号)。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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